諦め
年齢を重ねるにつれて、どんどん色んな事柄から自由になっていくような気がしています。
20代のころには、とにかく「こうあるべき」という形があって、それから外れると過剰に反応して、イライラしたり怒ったり。
今思えば、自分の中のルールが厳しすぎて、自分で自分を追い込んだりすることもあったのかも。
今43歳。人生のちょうど半分を迎えということをよく思います。
40すぎた辺りから、様々な身体の変化を感じるようになりました。
若い頃のように、無理が効かなくなってきているのをひしひしと感じます。笑
この変化「よく聞いてたあれって、これか!」と気付くと、なんだかそれが面白い。(「これか!」については、直接聞いてください。笑)
あまり悲観する事もなく、それをじっくり観察するのがむしろ楽しかったり。
いよいよ迎える更年期も、どんな感じなんやろ、ってセミナーに行ったり本を読んだり。
最近「諦め」という言葉がよく浮かんできます。
私にとってそれは全然ネガティブなイメージではなく、ほろ苦さを伴いつつも、よいイメージ。
若い時にあった、わけのわからない焦燥感、執着からどんどん解放されて、楽になっている感じが心地よい。という状態を表すのにピッタリな言葉。
「諦め」という言葉。
一般的には、自分の願いが叶わない、思いを断ち切るというよにどちらかというとあまりよくない言葉。
もともとは、仏教用語から来ていて、「つまびらかにする」「明らかにする」といったように、真理を観察して明らかにみるということだそうです。
仏教での「諦」という字は、真理、道理。
物事の道理、真理、意味がわかったうえで、自分の願望がどうして達成されないかがわかって、納得して断念する。諦める。
意味もわからず、執着したまま「あきらめる」と悔いが残りますが、納得のうえで「諦める」のであれば、清々しい感じがします。
経験も浅く、初めてのことにワクワクすることが多かった若い頃。
楽しかった反面、何事も「あきらめ」るのは悪いことで、とことん頑張らないと。
と、多くのことに執着し、苦しい思いや悔しい思いもたくさんありました。
歳を重ねて、多くのことを経験し、やっと物事を「明らかに」にして「諦める」感情を味わえるようなって、少し楽になってきました。
と書くと、いつも平常心。道理をわきまえた大人。
と言った感じですが、まだまだ全然です。笑
情熱は持ちつつも、すっきりと「諦め」られるようになっていきたいものです。
こよみ